【地域】タイ東北地方、ラオス中南部 【報告掲載日】2006年12月20日(水)
個人ドナー紹介(2006.04.21)
日本民際交流センターを通して、8,000人を超える方がたが、奨学金ドナー(奨学金提供者)として、タイやラオスの子どもたちの教育支援をしてくださっています。
ドナーには、支援する奨学生の写真や報告書(当センターWEBページアドレスの右参照http://www.minsai.org/individual/index.html)が、それぞれの現地事務所から届きます。
「民際」とは、国の枠を超えた、民と民との交流を意味します。日本にいながらにして奨学生の成長を見守るドナーもいれば、現地訪問で支援する奨学生と対面し、その後も交流を続ける支援者もいます。皆さん、それぞれの思いで支援を続けてくださっていますが、その中の何人かをご紹介します。
●玉井さん(タイの子どもを支援)
「1990年から奨学金を支援しており、2006年で支援したタイの子どもの人数は10人になります。その中でも、93〜95年に支援していた元奨学生のポットさんが、中学校時代に奨学金を提供してくれた日本の支援者に感謝の言葉を述べたいとタイの事務所を訪れたことがきっかけで、2002年の民際センターの15周年記念事業で来日し、会うことが出来ました。彼女はその後も苦学しながら勉強を続け、今はタイ政府漁業局で働いていますが、夜学にも通い、将来は故郷近くの学校で農業を教える教員になるための採用試験に向けて勉強もしています。 『遠く離れた人から希望を与えられて、どんなに苦しくてもがんばることができました。会ってお礼を言いたいとずっと思っていました』と言われた時はとても感激し涙してしまいました。また『私がチャンスをもらったように、後輩にもチャンスを与えたい』と言っていました。私の方こそ、彼女からいろいろ勉強させてもらったと思っています」
●吉田さん(ラオスの子どもを支援)
「“ヴィン”君のラオス語サインが今、手元にあります。『姓は分からない』と言いながらノートに書き残していった名前。自分では『9歳』と言う11歳の君は、40歳を過ぎて私が初めて授かった“息子”。
朝は鶏の鳴き声にせかされ、夜は宝石箱のような星空を眺めながら、水汲みをしている姿を思い浮かべます。元気で暮らしていますか。
人口千人余、平均年収約1,200円のナーカーム村。訪れて運良く、支援している君に会えました。小さいころ父母を病気で亡くし祖父ら7人と6畳間くらいの家で暮らしていましたね。手伝いは大変だけど、新品ノートで好きな算数、勉強していますか。ずっと眉間にしわを寄せていたけど『お母さんに会いたい』とポツリ。辛いこと多かったんだね。
村で私たちを待っていたのは花束を抱えた子どもたちのアーチでした。壁破れ全学年ぶち抜きの教室に響く元気な歌声でした。『サバイディー』と手を合わせてすれ違うたくさんの笑顔でした。ピカピカの制服や靴、鉛筆・・・。君たち奨学生に渡した品々も決して取り合ったりしない。みんな宝石のよう。
村を去る時、見送る小学生二百数十\人の中に、親指を出して私に合図する君の姿が。その笑顔にこちらが励まされました。君の国はかつて戦乱に翻弄され今も多くの困難を抱えているといいます。君がラオスを、この星を救うかもしれない。二度と会えないかもしれないけど、遠くからずっと応援しています」
吉田さんとヴィンくんの写真は http://www.minsai.org/individual/id004.html
他のドナー紹介は、http://www.minsai.org/individual/index.html