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ピース・インタビュー Vol.1

バングラデシュの子どもたちにチャンスを与えたい

渡辺大樹/ekmattra(エクマットラ) 更生・訓練担当

社会の格差を縮め、温度差のない社会を作りたい―――。大学卒業後、単身バングラデシュに渡り、現地でできた仲間とともにストリートチルドレンの支援を行っている渡辺大樹(わたなべひろき)さんにお話を伺いました。仲間達と立ち上げたNGO「ekmattra(エクマットラ)」の施設で行ったインタビューでは、自身の活動のきっかけやekmattraの活動について話してくれました。

文/安田高法 取材/2006年7月15日


――渡辺さんがバングラデシュという国で活動をするきっかけは何だったのでしょうか?
私は大学の時はヨット部に在籍していました。2001年12月、大学4年生の時、最後に国際ヨットレースに出場する機会を得て、開催地のタイ、プーケットに行きました。ヨットというスポーツの性格上、周りは世界中から集まった大金持ちばかりで、レースが終わると毎日豪華なパーティーが開催され、豪華な2階建てバスで移動していたんです。 その何日目か、いつものようにバスでパーティー会場に向かっている時、何気なく窓の外に目をやっていると、外に広がる巨大なスラムが目に飛びこんできたんです。そこでみすぼらしい格好をした5、6歳の男の子がこっちを向いていて目が合ったんですね。そのときにすごく大きな衝撃が私の中を突き抜けていったんです。これがそもそものきっかけでした。
その経験が、時が経って消えるどころかどんどん私の中で大きくなっていって。チャンスを得られないような子どもたちに対して、何かしらチャンスを与えられるようなことをしたいなと強く思うようになっていきました。そういった思いでやって来たのがバングラデシュという国でした。
なぜバングラデシュかということですが、自分の中では考えていく内に自然とバングラデシュにリンクしていたんです。小学校の頃に教科書か何かで見たのを覚えていたのかもしれないですね。洪水とか飢餓とかサイクロンとか…。バングラデシュに対するイメージがおぼろげに残っていたんですね。それで、大学を2002年に卒業して、3ヵ月後にバングラデシュに来ました。

――なるほど。でも渡辺さんは一人でバングラデシュに来られたんですね?
はい。最初、自分に何ができるかを考えていた時に青年海外協力隊員やNGOの人に話を聞いたりしました。でも、2年後や3年後にそういう道を選んでみてもいいかもしれないけれど、まず最初に自分の目で見てみたいと思ったんです。もし一人でやってみて、何もできないなと思ったら、そこで初めて団体に所属すればいいなと思いました。

――不安はなかったのですか?知り合いもいなかったんですよね?
不安というよりは、何というか、高揚感のようなものがありました。ああ、やっと行ける、という感覚がありましたね。
最初は知り合いもいませんでしたが、行くと決めてから、大学のバングラデシュから来ている留学生と知り合って、「行くなら弟がいるから、一緒に住めば?ベンガル語も覚えられるし」と言われて。

――バングラデシュに来る前から強い信念を持っていたのですね。では、実際にバングラデシュに来てすぐに活動を始められたのですか?たとえば初めて子どもたちと話したのはいつだったのですか?
来てからすぐに、路上でいろいろな人たちと話を始めました。というのも、本で勉強していてもらちが明かないと思ったので。なので、まずは外に出てお茶屋さんのようなところで、ベンガル語や英語など知っている限りの言葉を駆使して話して、30分くらい話したらまた別のお茶屋さんに行って、ということを繰り返していました。毎日毎日10軒くらい「はしご」していましたね。そうやっていく内に言葉も覚えられました。
それから、少しの間ダッカ大学で勉強していたのですが、そこで学生たちとバングラデシュの現状などを議論をしていく中で意気投合する仲間たちが見つかりました。まず学生たちに、自分はどうしてこの国に来たのか、ということを話していきました。ところが話してみると、学生たちの中にも「自分はこの国に対して何かをしたいんだけど、どうしていいかわからなかった」という学生たちがいることがわかりました。そこで、「自分達は何ができるんだろう」ということを一緒に考えていく内に固まってきたのが、ストリートチルドレンに対して、何かをしようということでした。これが「ekmattra(エクマットラ)」の成り立ちです。まずは、その仲間たちと一緒に路上に出て、路上に住んでいる人たちと話をして、私がバングラデシュに来て半年くらいたった時にしっかりとした調査を始めました。

――実際に路上に出て、話をしたり調査をする中でわかったことはありますか?
私たちは親と生活することが「良いこと」と思っていますが、ストリートチルドレンにもいろいろな子どもたちがいて、親と一緒に生活することによって逆に教育の機会から遠ざけられているような子どもたちがすごく多いな、ということがわかりました。
実はバングラデシュでは非常に多くのNGOが活動していて、ストリートチルドレンに対しても、たとえば青空教室を開いたり、ドロップインセンター(子どもたちが24時間利用できる施設)を運営するなど、多くの支援がされています。子どもたちがその気になればチャンスを得られる場所はあるはずです。ところが、親と一緒に生活していると、そういった場所に行けず、支援を受けられない子どもも多い。なぜかというと、親にとって子どもは「収入源」なんですね。子どもが一日ごみを拾ったり、鉄くずを拾ったりすると、一日50タカから100タカ(※1タカ=約1.7円、2006年7月)のお金が収入として得られます。この意味で大事な「収入源」である子どもが教育を受けてしまうと、目先の利益がなくなってしまうので、親は子どもの教育を認めたくないんです。
たとえば母親が娼婦だったり、父親がヘロイン中毒だったり、ある意味では「社会からはみ出た」ような親は、自分達の身の安全をより一層考える人たちなので、「子どもたちを自分の収入源としてしっかり持っておきたい、身の保障としておきたい」という考えが強くあるようで、そういった親を持つ子どもたちは、他のNGOの支援を受けられないことがあるとわかりました。そこで、自分達は親が理由でチャンスを得られない子どもたちに対して何かをしていこうという考えが固まってきました。

――そういった中でekmattraでは青空教室を始められたとのことですが、「青空教室」とは具体的にはどのようなことを教えるのですか?
最初は青空教室に対するイメージとして「読み・書き・計算」というのがあったので、まずはベンガル語の「あいうえお」を教え、英語の「ABCD」を教え、「1、2、3、4、5」を教えていきました。ところが、子どもたちは親に言われて来ているので、本当に興味がないんですよね。すごくつまらなさそうにしていて。1、2週間くらい教えましたが、本当に興味を示さないので、「あ、これダメだな」と思いました。
そこで、「じゃあ今日は遊ぼう」「今日は歌を歌おう」「今日は踊りを踊ろう」「今日は劇をやろう」と、内容を変えていきました。「識字教育」から「情操教育」にしていったんですね。そうすると子どもたちが少しずつ興味を持ってくれるようになりました。歌、詩の朗読、踊り、遊び、物づくりなどを通じて興味を持ってもらい笑ってもらうことで、最終的にモラルやチームワークを教えるように変えていきました。

――子どもたちは「親に言われて来る」とのことですが、最初の生徒はどうやって見つかったんですか?まずは親を説得したのでしょうか?
そうですね。まずは親に対してずっと話をすることから始めました。話を聞いていた地域は「娼婦街」だったのですが、その地域でも有力な「ボス」のような娼婦の方がいて、その方がまず理解してくれました。

――でも、変な言い方ですが、いきなり外国人である渡辺さんがやって来て、「お前のところの子どもをよこせ」って言うわけじゃないですか。そう考えると、相当抵抗されると思うのですが…。
最初は、本当にリンチにあいそうになりました。というのも、娼婦の方と話そうと思ったら、夕暮れ時しか話せないんですね。夜は仕事をして、昼間はみんな疲れて寝ているので。ちょうど化粧をする時間くらいでないと話ができない。そうすると、結構あたりが暗いので、うさんくさい人が集まってきたりとかがありました。それから、今でもあるのですが、その頃は特にパキスタンや中東から来た外国人による「人身売買」が多かったようで、私も外国人ということで間違えられたことがありました。「お前いいことを言っているけど、結局は人身売買が目的なんだろう」と言われ、大人数に取り囲まれ、「二度とここに来るな。今度来たら、ただじゃおかないぞ」とリンチにあいそうになりました。その時は「わかりました」と言って帰るのですが、そこで引き下がったら何も変わらないので、それでも毎日毎日行ったんですね。結局1ヵ月半くらい通いつめるうちに、「生半可な気持ちで来たんじゃないな」ということがわかってもらえました。
そこで、やっと変わりましたね。1ヶ月以上通って、わかってもらえたというのがありました。それまでは自分の過去のこと、子どものこと、なぜ娼婦をしているかなどについて何も話してくれなかったのですが、だんだん話してくれるようになりました。「自分の娘にはこういった仕事(娼婦)はして欲しくない」「本当はもっといい人生を歩んで欲しい」「でもそれに対してどうしたらいいかわからない」と。
そこで、私たちが青空教室をやっていることや、後に設立したセンターのことを話しました。たしかに今日一日、明日一日の収入を考えたら子どもはそばにいた方がいいけれども、結局毎日が「その場しのぎ」の状態から抜け出せないでしょう、と。でも子どもたちが教育を受け技術訓練を受けることで、5年後、10年後に職を持って生活するようになったら、子どもにとってもあなたにとってもプラスではないですか、と。
ただし、やはり言葉だけでわかってもらえる人はなかなかいなかったので、「まずは難しいことは考えなくてもいいから、とりあえず子どもたちを青空教室に参加させてよ」「青空教室は週に3回、1日2時間だけでしょ、そこに参加するだけだったら収入に関してもそれほど問題ないでしょう」といって参加してもらうようにしてきました。
その後、だんだん子どもたちが参加するようになってきたら、「親に対する青空教室」も始めていきました。「子どもたちに対してどんなことを教えているのか、興味があるでしょう?」と言って、子どもを20人くらい座らせ、親もその周りに20人くらい座らせました。そこで、表向きは子どもたちに対して教えながら、実はその周りにいる親たちに対してもメッセージを送りました。親たちも青空教室を見て、私たちが本気で教えているのを目の当たりにしていく内に、「ああ、こいつらちゃんと考えているんだ」とわかってくれるようになる。そうやって親たちも少しずつ変わっていきましたね。

――なるほど。そうやって親たちに対する「啓発活動」も行っていったのですね…。では、その後から現在までのekmattraの活動・発展についても教えていただけませんか?
はい。少し青空教室の話を続けますが、青空教室はオープンなスペースでやっているので、参加しやすい代わりにドロップアウトしやすいということがありました。いろいろな子どもたちが来ては出て、来ては出て、ということを繰り返していました。
ところが、青空教室を始めて1ヵ月半ほど経った頃から、15人位の子どもたちが毎回毎回参加するようになっていったんです。その子どもたちが半年程参加し続けていく中で、この子どもたちは最低限のチャンスをいかしてきた子どもたちだから、もう少し大きなチャンスを与えてもいいんじゃないか、と思いました。
そんな折、たまたま大使館が主催するスピーチコンテストがあり、子どもたちが発表する場をもらって、それまで覚えてきた歌や踊りや詩の朗読を20分くらい発表しました。その時、それまで大人や社会から逃げるように暮らしてきた子どもたちが発表を終えた瞬間に、500人を超える大観衆がスタンディングオベレーションで迎えてくれたんです。私もその場にいてすごく鳥肌が立ったのですが、子どもたちもすごく目の色が変わった瞬間でもあったんです。
そこで初めて、自分たちが続けてきたことは間違ってなかったな、と思いました。それまでは、最初の識字教育がダメで情操教育に変えていったけれども、「本当にこれでいいのか、本当に彼らを変えていけるのか」という思いがありましたが、その発表会後の子どもたちの変わりようを見て、すごく自信を持つことができました。15人と少数の子どもたちではあるけれども、自分たちがやってきたことは間違ってなかった、少しずつ何かを変えていけるんだ、と。彼らの変わりようを見て、自分たちも勇気付けられたんですね。
それ以前から子どもたちを養育し、通常教育を受けさせるセンターを作りたいという思いがあったのですが、発表会によって踏ん切りがついて、このセンターを設立しました。それが2004年の4月のことです。

――それがこのセンター(インタビュー場所)ということですね。ここで行っている支援について、教えていただけませんか?
センターで教えているのは、通常の教育です。青空教室でも読み書きは教えられますが、しっかりと教えることはできないので、子どもたちにとってはセンターに来てからちゃんとした読み書きが始まります。あとは、刺繍をしたり、紙で何かを作るなど、技術教育の準備をしています。ただ、一番大きいのは「モラル」を教えることです。限られた住居スペースの中で何人かの人間と共同生活をすることで、社会性を身につけるということが一番大きいですね。子どもたちには「この時間は何の時間」としっかり時間を守るようにしてもらいます。

――子どもたちはどのようにすればセンターに入ることができるのですか?
最低半年間、私たちとの信頼関係が築けた子どもたちがここに来れることにしています。路上でどんなにみすぼらしい格好をしていて、どんなに貧しい子どもがいても、絶対にいきなりセンターに連れてくることはしません。というのも、連れてきてもすぐに嫌になって出て行ってしまうことがわかっているからです。私たちは家の中で住む方がいいと思っていますが、子どもたちにとって路上で生活することは、ある意味では「自由をおう歌」しているんですよね。嫌なことや苦しいこともあるけれども、好きな時に好きなことができる自由がある。だから急に家の中で生活をするというのは、ある意味苦痛なんですね。「センターでちゃんとした人間になっていくぞ」という意識を持たない子どもが来ても、すぐに逃げ出してしまう。
そのため、まずは青空教室を入り口として、そこで最低半年間私たちとの信頼関係を築けた子どもたちの中で意欲を持った子どもがいれば、親を説得してセンターに連れてくることにしています。

――最後に、ekmattraやセンターの運営も含めて、今後の展望などを聞かせてください。
このセンターでは本格的な技術教育はできないので、2年後にダッカの外に大きな敷地を買って、技術支援を行うセンターを設立したいと計画しています。そこを最終的な自立支援センターとして、子どもたちが技術を身につけて社会に出て行くというプロセスを考えています。
第一のステップは青空教室、第二のステップでこのセンターがあり、その後これから設立しようとしている自立支援センターで技術を学んで、16〜18歳になったときに社会に出て行く、と。社会に出て行くときに、他の企業に就職するのもいいですが、私たちとしては、彼らが見につけた技術が私たちの収益となるような事業としてやっていきたいと考えています。
具体的には、現在も簡単な「お菓子作り」をやっているんですが、自立支援センターではオーブンなどを設置して、お菓子作りをやっていきたいと思います。彼らが技術を身につけて卒業する時に、ekmattraとしてお菓子屋さんを開くことができれば、子どもたちの就職先にもなりますし、そこでの収益を次の子どもたちへの支援に回すことができますし。

私たちとしては日本など外国に頼らず、バングラデシュの人からのサポートで活動を行っていきたいと考えています。というのも、バングラデシュの人から寄付金やサポートを受けることによって、彼ら自身に活動を知ってもらう、自分たちの国のことに意識を持ってもらうことになるからです。本当に子どもたちを変えていきたかったら、親を含めて周りの大人たちを変えていかなければいけないんですよね。
実は、最初に現在のセンターを作るときに、実業家や一流企業で働いている人などに話をしにいったのですが、「そういうことは外国に頼め」と言われ、誰も見向きもしてくれなかったという経験があります。でも最近になって、バングラデシュで子どもたちの里親になってくれる人が出始めてきました。
ekmattraとしては、子どもたちの人材と収益のサイクルを作っていくこと、最終的にこの国の中で人材的にも資金的にも組織的にもしっかり回していけるというサイクルを作ることを目標としています。そうなった時には私は日本に帰れるかもしれないですね。それが10年かかるのかも15年かかるのかもわからないですけど。そういったサイクルを作ってから日本に帰ろうかなと考えています。

――ありがとうございました。

渡辺大樹さんより、記事を読んでいただいた方へのメッセージ

国際協力・開発活動・福祉活動・・言葉はどうであれ、こうした分野には人それぞれの関わり方があると思います。無理をせず自分なりの関わり方をしていけたらいいですね。私もそうしているつもりです。

イーココロ!からのお知らせ

NGOエクマットラは、2009年にストリートチルドレンの現実を伝えるための映画「アリ地獄のような街」を完成させました。アリ地獄のような街の収益は、職業訓練センターの建設費となります。

エクマットラの紹介映像はこちらです。



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