ホーム > 世界を知ろう! > ピース・インタビュー > 中渓 宏一さん


 

ピース・インタビュー Vol.2

地球を歩いて木を植える、生命の尊さを伝え歩くメッセンジャー。

中渓 宏一/ソニックサーファーシードマン

「地球を歩いて、木を植える。」 彼はもう3年も木を植えながら地球を歩いている。アフリカを歩き、今は日本を歩いている。アフリカを歩いている時、種の重要性に気付き、今では木を植えつつ、種を蒔くことも広めている。

彼の名は中渓 宏一(なかたに こういち)。定職は持っていない。行く先々でサポートを受けながら、自然と生命の尊さを伝えて歩いている。なぜ、歩き始めたのだろう。何が彼を突き動かしているんだろう。何を訴えたいんだろう。どこで寝ているんだろう。初めて彼と出会った時、聞きたいことで頭が一杯になった。

ただ歩くだけじゃないか?いやいや、3年も定職を持たずに歩き続けるなんてことは、誰もが出来ることじゃない。信念や、伝えたいことなくして出来るもんじゃない。いや、もしかしたら本人にとってはそんな堅苦しいもんじゃなくて、美しい自然に接すること、歩くことで生まれる出会いの連鎖が楽しくて仕方がないというのも歩き続ける理由なのかもしれない。2007年のアースデイに向け北海道から東京に向け、歩いている彼を、札幌にてインタビューした。
文/関根健次 取材/2006年10月15日

■プロフィール
1971年シアトル生まれ。大手商社勤務などを経て2000年9月、放浪の旅に出る。北米、アジア、欧州、中南米、アフリカへと旅をして、南アフリカで「地球を歩いて木を植える男」、アースウォーカーことポール・コールマンに出会う。ポールは20世紀の戦争犠牲者、1億人分の植樹達成を目標に歩き続ける。一億本の木を植えるのは、戦争で犠牲になった人のため、森林破壊を食い止めるため。国連から"Earth Walker"の称号を与えられた。「アースウォーカー」ポールとはジンバブエ、ザンビアを一緒に歩き、2004年6月に帰国。帰国後は、共に富士山から長崎、沖縄諸島を歩いて木を植える。2006年1月1日に日本最西端の与那国島を出発、4月22日のアースデイ東京2006の会場、代々木公園を目指して歩き、木を植えた。2006年7月、北海道の宗谷岬を出発、2007年のアースデイ東京の会場、代々木公園を目指して歩き、木を植えている。


――最初旅を始めた時は、木を植えることは目的にしていなかった。最初の旅先、目的は何だったんですか?
最初に選んだ場所はアメリカ。目的はお祭りを見に行くことと、憧れだったニューヨークに行くこと。その後は南米に飛び、リオのカーニバルなどを見に行く予定でした。2000年9月1日に出発して、当初は1年で帰る計画でしたが、結局4年以上日本に戻りませんでした。

――当初1年の計画が、どうしてそんなに長引くことになったんですか?
ニューヨークで出会った人からインドで144年に一度しかない「クンバメーラ」というお祭りがあると聞いてしまったんです。「これは行くしかない」と思い、急遽行き先をインドに変えました。人々がただひたすらガンジス河で沐浴するようなお祭りだったんだけど、全く違う宗教観とか自然観を見せられたんですね。僕にはとても衝撃で、もっと違う世界を見たいと思い、本格的な放浪の旅が始まったんです。

インドの旅を終えたころ、すでに1年ぐらいが経過していたんだけど、それからアフリカのザンビアに行って、ヨーロッパ、南米へと1年半ぐらい旅してからまたアフリカの南アフリカに戻りました。

――ずいぶん長い旅になりましたね。南米からアフリカにどうして戻ることになったんですか?
南米にいた時点で、もうすぐ旅を始めて3年に手が届きそうな頃だった。あとは、もう少し南米を見て日本に帰ろうかなと思っていたら、南アフリカで日食のイベントがあるということを知り、アフリカ経由で帰ることにしたんです。

南アフリカの日食イベントはラスラズバレーという場所で行われたんですが、そこが景色も、ライフスタイルも素晴らしいところで、有機農法を実践しながらほぼ自給自足の共同生活をしている場所なんです。ロッジがあり、数十人が共同生活しています。このコミュニティーのボスと仲良くなり、ここでキャンプ生活を始めました。

1日2時間だけは働くことになっていて、朝6時ぐらいに起きて、8時まで草むしり。お腹が空くとそこで採れた野菜はもらえるから、パスタなんかだけは買って来て、みんなで食事をするんです。ただただ自然と共に生きて、食べて、仲間と太鼓を叩いたりして暮らしていたんです。それだけで大満足っていう感じ。だから欲とか、不安とか、余計なものが全部ここで削げ落ちちゃって。

――ラスラズバレーに住み始めたんですね。
そう。いつ帰ろうとかは決めずに、そこにいようと。そんなある日、「地球を歩き、木を植える男」アースウォーカー(Earth Walker)がやって来たんです。「どこに行くんですか?」と聞くと、「中国まで木を植えて歩く」と言うんですね。20世紀の戦争犠牲者、1億人のために1億本の木を植えることを目標に歩いていることを聞いて衝撃を受けました。その当時、アメリカがまさにイラク戦争の準備をしていた時で、誰も止めることが出来ないし、無力感を感じていたんです。

そんな時、彼のように歩き、木を植えることで平和を訴えている人がいるんだという事実を知って、希望が沸いたんですね。そして、ポールの発しているオーラというのが、良かったんです。リラックスしていて。直感で、もしかしたらこの人なら本当に世界を変えられるんじゃないかと感じたんです。

それでとにかく彼の活動を具体的に知りたくなって、一緒に歩きたいと言ったんです。そしたら「いいよ」と言ってくれて、結局南アフリカにいる間に、1週間ぐらい一緒に歩いたんですね。一緒に歩くと段々分かってきたけど、最初は彼のやっていることがピンとこなかった。彼の活動というのは、1億本の木を歩いて植える活動。それをどうやって日々実現していくのかということが、全然想像がつかなかったんですよ。

やはり、本当に知るためにはもっと歩かなければダメだと思い、それから4ヵ月後、2003年の夏至に、南アフリカの国境を越えて、ジンバブエから一緒に歩き始めたんです。最初は1ヶ月のつもりが、結局1年一緒に歩きました。

――木を植える旅の様子を教えてもらえますか?
大体1日分の食料をバッグに詰めて歩きます。パンと蜂蜜と野菜のセットが多いですね。例えば1日20km歩くんですが、午前中は飛ばして12km歩き、午後は少しペースダウンして8km歩く。ジンバブエを歩いていた時の7割は野宿だったので、夜になると寝場所を探し、火を焚いて、コーヒーなどを飲んで寝ます。

「木を植える」と言っても1日の関心事の6割7割は、「何を食べて、どこで寝るか」ということなんです。そういうサバイバルをやりながら休憩中に、木を植える計画を練るんです。「大統領と一緒に木を植えよう」とか夢のような話を草原とか、川辺なんかでするんですよ(笑)。

――どういう場所を寝場所にしていたんですか?
人から見つからない場所を寝場所にします。というのも一番注意しなくちゃいけないのは人なんです。アフリカでイギリス人と日本人のコンビが歩いていれば、お金を持っていると思われ、襲われる可能性がある。それで、人に見つからない場所を探すんです。それと、僕らはテントを持ちません。というのはバッグが軽くなるということと、万が一襲われたときにテントだと身動きが取れないから。

――食べ物がなくなってしまうようなことはなかったですか?
ありましたね。ジンバブエからザンビアに抜けるために歩いた最後の100km。ここは国立公園だったのでお店もなくて困りました。国立公園の施設に住んでいる人がいたので食べ物をもらいに行ったことがありましたが、アフリカの主食ってトウモロコシの粉なんですね。こういった粉をいくらか払って分けてもらったり、本当は国立公園だから獲っちゃいけないんだけど、鹿の生肉なんかも分けてもらいました。

――危険なことはなかったですか?
マラリアには6回なりました。段々と免疫ができ、最後の方はただの高熱程度になりましたね。危険な目ということでは、ジンバブエの国立公園はライオンなんかもいるところで最初は怖かったですよ。ライオンがいるかもしれない、食べ物を買うところもない。本当にサバイバルです。

でも「どっちにしても歩くんだから」と一旦腹が据わってくると、逆に爽快感が出てきちゃって。ポールの1億本を植える、世界を変えるかもしれない数万キロの旅を、僕も一部を担って一緒に歩いているということが、爽快感になっちゃったんですよね。生死を懸けて何かにフォーカスしてやる時ってのはこういうことなのかと、感じた瞬間でしたね。

――そんなサバイバルをしながら木を植える活動をしているわけですが、木はどのように植えていったんですか?
木は学校を中心に植えるんですね。たどり着いた村々でやることは、まず役場に行きます。役場に行くと、村長さんなり、林野庁の担当の人が出てくるので、その人たちに会って、「小学校に木を植えたい」と言うんです。そうすると次の日この小学校で植えましょうとか、話が進んでいくんですね。上手くいくと、着いた翌日に地元の小学校で、林野庁が用意した木を植えることが出来るんです。

だいたい電話もないので、着いてから交渉します。それで、木を植える日が翌日とか2、3日後になれば、「ここに泊まって行きなさい」ということになり、宿が提供されるんですね。

こういった活動の一つの集大成が、その国の大臣などと一緒に木を植えることなんです。

――木を植える交渉の成功率はどれぐらいなんでしょうか?
ジンバブエでは半々ぐらいでした。次に行ったザンビアでは希望するほとんどの場所で木を植えることが出来ました。国境を越えたとたんに民族が変わって、人のおもてなし方が変わるんですよね。ザンビアに入ると急に「泊まっていけ、泊まっていけ」という誘いが増えてきて、結構人の家にお世話になることがありました。

――実際にザンビアでは「大臣と一緒に木を植える」ことは実現したんでしょうか?
南アフリカ、ジンバブエでは環境大臣と木を植えました。ザンビアでは実現しませんでしたが、政府から木が提供されるなどの成果はありました。例えばザンビアの首都、ルサカに着いて何をやったかというと、ポールが大統領に「一緒に木を植えましょう」と手書きの手紙を書いたんですね。その手紙を確実に読んでもらえるように、その手紙を新聞にも掲載しました。

そうすることで新聞記者にも活動が知れて、一面に記事を書いてもらったりとかしたんです。そういうゲリラ的なやり方で活動を広げていったんですね。そういう活動が実り、木の提供や数々の学校での植樹につながっていったんです。

――ユニークな方法ですね。大統領への手書きの手紙を新聞にも掲載するような「ゲリラマーケティング」手法はポールが考えたことなんですか?
そう。これは彼の一つの知恵なんだけど、彼は手書きの手紙の力を信じていて、本当に伝えたいメッセージは手書きで書けと言うんですね。宛先は大統領だったりするんだけど、自分は大統領とも対等な立場として手紙を書く。そうすることで、ちゃんとメッセージが伝わる。そういうことをポールは何度か実践して来たんです。80年代後半には、彼はゴルバチョフ(前ソビエト連邦大統領)に手紙を書いたことがあって、返事が来ましたし、その後、ロシアの宇宙飛行士などとの交流にもつながったんです。

――ポールと1年間一緒に歩いて、木を植える活動についてどう思いましたか?行く先々の学校の子供たちの反応はどうでしたか?
地道だけど、確実に世の中に前向きな影響を与えている活動だと実感しました。先ず、4万4千キロという地球1周分を歩き、環境と平和のメッセージを伝える為に木を植え続ける人間が居るということを知るだけで、逢った方、逢った人に話しを聞いた方の心に小さな変化が起こります。一緒に木を植えた方の心には更に大きな変化が。それは、「一人の人間が出来ること」の概念の拡大とか色々な言い方が出来るでしょう。その小さな変化の連続が、いつか大きな変化を呼ぶと思うんです。千里の道も一歩から。木を植える活動ですから、地道な日々の連続の末に、桜みたいに、ある日「パッ」と花が開く日が来る活動だと信じています。

子ども達は、リュックを背負ってはるばる歩いてきたということにロマンを感じてくれて、それだけで喜んでくれます。特にアフリカの子ども達は好奇心の塊。「何食べてるの?」「何処で寝るの?」「結婚しないの?」質問が絶えません。そして木を植えることをとにかく純粋に楽しんでくれます。ポールがいつも、「歩いて疲れていても、学校の子ども達に元気をもらって、また出発する気力が湧く」と言っています。僕もそれを今実感しています。「木を植える」という行為を、「環境に良い、悪い」ではなく、ただただ「楽しい」と心から感じて、そのまま表現出来るのが子ども達の凄い所だと感じています。

――ここで中渓さんの日本での活動について聞きたいのですが、どういう経緯でポールと一緒に日本で歩くことになったんですか?
ジンバブエ、ザンビアと歩いてその先も歩く予定はあったんだけど、この先の旅のサポートを得るために日本に行くことをポールに提案したんですね。日本に行って、広島や長崎を歩いて、日本の人にこの活動を知ってもらいながら、サポートを得て、アフリカに戻ろうと。それで、2004年6月にポールを連れて、日本に戻りました。

日本ではまず、約5ヶ月間かけて富士山から広島・長崎へと歩きました。40ヶ所ぐらいで78本植えましたが、この旅が、すぐ次の旅にもつながり、沖縄で植樹活動をすることになりました。

段々とポールの活動が知られるようになり、愛・地球博(EXPO 2005 AICHI,JAPAN)で、ポールが「地球を愛する100人」に選ばれたんです。このことがきっかけでアースデイとして歩くことを依頼されました。

――そういう経緯で沖縄から東京まで2006年のアースデイの日を目指して歩いたということですね。
そう。ポールが北京から東京まで歩き、僕は沖縄から東京を目指して歩きました。 今回の旅では、2007年のアースデイの日をターゲットに、北海道の宗谷岬から東京まで、今度はポール抜きで歩いています。

――今回は何本ぐらい植えようと計画しているんですか?
出来れば月100本ぐらいは植えたいですね。あと、自然農法で著名な福岡正信さんの農法の、粘土団子を広めています。

というのも、ジンバブエを歩いた時にジンバブエで起きていることが、世界の縮図のように思えたんですね。ジンバブエは少ない外貨を得るために、一生懸命タバコを作って世界に輸出しています。タバコを生産するために、木を切って、森を破壊します。でも食料は不足しているからNGO/NPOにわざわざヨーロッパから小麦なんかを運んでもらうんですね。ものすごい石油の無駄遣いだと思うんです。

だったら自分の国で自分の食べるものを作るということが、一番いいんじゃないかということを、ジンバブエを歩いているときに体感したんですね。そんなことを思っていた時に福岡さんの粘土団子に出会いました。普段食べている果物や野菜から出る種を集め、団子にくるんで蒔けばいい。とてもシンプルで、直接的な解決策だと思うんです。これは世界中で実践できることだと思い、広めたいと思っています。

――ありがとうございました。

中渓 宏一さんより、記事を読んでいただいた方へのメッセージ

普段生ゴミになっている種は、実は命の源で、そこから緑が生まれ、命をつなぐきっかけになる大事なものです。だから、種をちょっと意識して、集めてみて欲しいです。種は台所から出たものを日陰で乾かしておくだけで保存出来ます。誰でも出来ることなんで、是非皆さんにもやってみて欲しいです。

北海道で出逢った素晴らしい仲間達と、2007年6月21日から24日に屈斜路湖畔で「アースデイ北海道」を開催、ここで実際に粘土団子を撒いてみる予定です。皆様にも是非、参加して頂きたい素晴らしい「地球に感謝する日。」にします。乞うご期待!



このページのトップへ戻る

Copyright © 2003-2008ユナイテッドピープル株式会社. All Rights Reserved.