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ピース・インタビュー Vol.3

私も、この子どもたちの笑顔に救われるんです。

浅野 典子/AFRICAN JAG Projectプロデューサー

プロデューサー浅野典子は、アフリカ大陸の子どもたちの救済と自立支援のため、音楽という表現を通じてアフリカの現実を訴える。社会的なメッセージ性の強い音楽アーティストに呼びかけ、収益の一部がアフリカ支援となるアルバムを作った。それが「AFRICAN JAG Vol.1」だ。

このアルバムは単なるコンピレーションではない。アーティストにはそれぞれ新曲を作ってもらい、著作権の最低10%を寄付してもらう約束で参加してもらった。浅野さんがプロデュースした世界的に有名なアーティスト、DJ KRUSHなど世界中のアーティストがこのアルバムに参加している。

何を想い、このプロジェクトを始めたのか。どんな経緯で始めたのか。プロデューサーの浅野さんに話を伺った。
文/関根健次 取材/2006年10月18日

■プロフィール
1970年代後半、当時全盛だった暴走族・キラー連合(4000人)の女リーダーとなる。その後、道路交通法の改正に伴い、生贄として不当逮捕され、1年間の少年院生活を経て社会復帰。戸井十月著『シャコタン・ブギ』(角川文庫)のモデルとなる。その後、映画監督"石井聰互"と出会い、表現の世界の面白さを知り、表現の世界に身を投じる。
プロデューサーとしてBOOWY氷室京介を起用した8mm自主映画『裸の24時間』などをプロデュースした後、Es・遊・Esコーポレーションを設立。現在は、海外でも幅広く活躍するDJ KRUSHや澤田純をプロデュースする傍ら、自らも写真/文章等の作品を発表、映像、音楽、アート等、様々な分野でクリエーターとしても活躍。主宰する[African JAG Project]では、自らがアフリカの貧困地帯に行き、取材を行い現場をレポートし、多くの人たちにその現実を知ってもらうための活動を精力的に行っている。


――どんな人生を歩んでこられて、アフリカ支援プロジェクトであるAFRICAN JAG Projectを始められたんですか?
中学校1年生の頃まではスポーツも勉強もそこそこ出来る優等生。私立の某有名女子校に通っていました。でも、母がガンになったことや、学校への不満から退学届けを自分で出して、公立の学校に入り直したんですね。

それからは今の自分にしか出来ないことをやろうと思い、バイクに乗り始めるんです。ある時、警察に捕まったことがありました。私は悪くないのに警察も、先生も誰も信じてくれなくて、悔しい思いをしました。それであいつは不良だってことになっちゃって。だったら「日本一のツッパリになってやる」と思って。それからは早かったですよ。本当に日本一のツッパリになったと思います。当時は暴走族が全盛だった時代だったんですけど、東京のキラー連合っていう暴走族4,000人の頭をやりましたから。シャコタンブギっていう単行本のモデルにもなりました。

19歳の時には見せしめとして警察に捕まって、結局少年院に1年入りました。少年院を出ると「帰ってきた典子」ってことで、グラビアもやったんですよ(笑)。

――当時、話題の人ですね。
当時はね(笑)。その後、田辺エージェンシー(タレント事務所)からスカウトされて役者デビューしました。映画監督の石井聰互と出会い、表現の世界って本当に面白いなって知るんですけど、自分がやりたいことは役者じゃなくてプロデューサーだってことに気付き、BOOWYの氷室京介なんかと自主映画を作ったんですよ。自主映画としては異例のヒットで4万人を動員しました。

その後は音楽と映像のMIXに興味が出て来て、さまざまなイベントを手がけましたね。そんな関係でKRUSH POSSE(当時DJ KRUSHが属していたグループ)と出会い、プロデュースすることになったんです。DJ KRUSHがソロになって初めてREMIXした曲を聞いた時は凄いなって思いましたよ。でも、日本では相手にされず、音楽を辞めなきゃいけないほどの状態になりました。それで、あと1年だけ頑張って勝負をかけようということになったんですけど、イギリスで雑誌に取り上げられたことがきっかけで、話題になって、イギリスでチャートインするんですね。そしたら日本のレコード会社からも引き手あまたでしたよ。

――DJ KRUSHは僕も学生時代聴いていました。世界的に有名ですよね。そんなプロデューサーの仕事をされていて、アフリカとの関わりはいつ生まれたんですか?DJ KRUSHの売り込みをやっていた時代も、何か支援活動をしていたんですか?
当時は食べていくのがやっとでそんな状況じゃなかったですね。アフリカにも行ったことがありませんでした。アフリカとの出会いは1994年です。たまたま音楽番組作りでロンドンに行った時、エリトリア出身の友達からエリトリアがエチオピアから独立して1周年の記念イベントがあるから来ないかって誘われてエリトリアに行ったのがきっかけです。

エリトリアは30年も戦って独立を勝ち取った国だから、みんな明るかったんだけど、戦争中の話を聞くとひどいことばっかりでした。例えば将来の反対勢力を生まないために、身ごもっている女性や授乳の出来る女性から真っ先に殺していく話。乳房が切り取られてしまった女性の絵なども見ました。

それから負けたほうの国、エチオピアにも行ったんですけど状況がエリトリアよりも全然悪くて、ちょっとホテルの外に出ればものすごい数の子供たちに「マネー、マネー」と囲まれるんですよ。ありえない数でした。中には両手両足を切り取られている子どももいました。物乞いのスペシャリストになるために、親が両手両足を切り落とすって聞きました。その方が哀れんでもらえるからだそうです。すごくショックでした。

そんな現実を目の当たりにして、自分は本当に何も知らないってことを思い知りました。私たちと同じ時間を同じ地球で生きているのに、全く違う現実がそこにあって。

――そういう現実を知って、すぐ支援を始めたんですか?
いえ、最初は何かしようということ以前にショック状態でした。自分の魂がアフリカの大地で迷子になったような気分。例えば1人の子どもにお金をあげても仕方がない。じゃあそこにいる全員にお金をあげるといっても、そんなお金はないわけですよ。そんな状態で日本に帰って来て、ものすごく考えました。

それで、まずは世界のことをもっと見て、もっと知らないといけないと思ったんですよ。そう思ったら世界は広いから「時間がない!」って思い、いろんなところに行き始めました。

――それからこの10年ちょっとで12ヶ国、合計30回行ったんですね。どんな発見があったんですか?

アフリカでは自分が音楽とかアートのプロデュースをやっていることもあって、アフリカの音楽やアートも見たんですけど、アフリカの人たちってびっくりするぐらい音楽とかダンスとか、アートのセンスが良くって飛び抜けているんですよ。本当に驚きましたね。正直言って、勝てないですよ。貧しい人達も飛びぬけたセンスを持っているんです。だから、これは彼らが貧しさから抜け出す「アフリカンドリーム」になり得るんじゃないかと思いましたね。

あとアフリカって本当に何にもないところなんですよ。例えばマラウイ。ある家の女性は、旦那さんを亡くしていてお金も食べるものもない。飲み水は泥水。自分は末期のHIV患者で、床にゴザ一枚敷いて、下着もつけずに毛布一枚だけかけて寝ている。それでもその女性は子どもたちの笑顔があるから生きているって言うんですね。そういう子どもたちの笑顔に私も生きることの意味を教えられているし、救われるんですよ。だからこの子たちの笑顔を絶対になくしちゃいけないなって思うんです。

マラウイには1万人の村民のうち、半分がHIV感染者という村があります。その村でもHIVの末期状態の女性に出会いました。その女性が私の前で裸になり、「私を撮って、この現実を伝えて欲しい」と言うんですね。私はどうしていいか分からなくなって、その場でカメラのシャッターを切ることが出来ませんでした。足はむくんでいて、お腹には腹水が溜まっていました。私は目の前にある現実を前に固まってしまいました。でもやはり伝えなければいけないって思って、翌日彼女に会いに行って写真を撮りました。



その彼女はもう生きていないと思う。その彼女のご家族には腹水の水を抜くために病院に連れて行って欲しいと頼んだんですけど、お金がないことを理由に連れて行こうとしなかったんです。だからその時は私がお金を出して彼女を病院に連れて行きました。

――それから支援を始めていくんですね。
1996年からアフリカン・アートの展覧会、工芸品の販売、ライブなどを行って、収益の一部をナイジェリアのオショボ地区の子供たちに医療や薬品を送ったり、アーティストの支援をしてきました。 でも、一時的な支援だと依存心を募らせるだけということが分かってきたんですね。だからより継続性のある支援にしようと思って今回リリースしたようなアルバム「AFRICAN JAG vol.1」を作ったんです。シリーズ化してCDを販売することで、継続支援を実現していくことが狙いです。主にエイズ孤児の自立、少年兵士の心のリハビリと社会復帰を目標に、テラルネッサンスというNGOと協力しながら支援を行っていきます。

――「AFRICAN JAG vol.1」は2006年6月にリリースされましたが、売れ行きはどうですか?

全然ダメですね(笑)。日本で売るのは難しいと思いました。雑誌は結構協力してくれたんですけどテレビは視聴率が上がらないっていう理由で取り上げてもらえなかったですね。逆にアメリカの反応は驚くぐらい良くて、BBCラジオが取材に来たり、すぐ提携話になったり、全然反応が違いますよ。いずれにしても本物はじっくり仕掛けていくしかないと思うんです。本物は普遍的だと思うんですね。だから本気で取り組んでくれる仲間と時間をかけてじっくりやっていけば、しっかりとした根を張っていくんじゃないかと信じていますね。

――今後の活動についてお聞かせ頂けませんか?
ぜひ学校でアフリカの話をしたいですね。そこで子どもたちにどんどんアフリカの写真を見せたいですね。かなりきわどい写真があるのでみんなショックを受けると思うんです。でもそういった写真を子どもたちに突きつけて、追い込んでいっていいと思うんですよ。「こういう現実があるんだよ。あなたはどう思う?」ってことです。そういったものをメディアが見せなさ過ぎたんだと思うんですよ。オブラートに包み過ぎたら、みんな現実を理解出来ないんですよ。

――ありがとうございました。

浅野 典子さんより、記事を読んでいただいた方へのメッセージ

今、こうしなきゃいけない、こうしたいと思っていたら、ちょっと一歩を踏み出すだけでいいから行動して欲しい。そうするとそこには心地よい風が吹いていて、全然楽に呼吸が出来るんです。世界に飛び出すことだって出来る。でも、世界の一員なんだからみんなで楽しくやらなきゃダメだと思うし、そうしたいですよね。

参考サイト

AFRICAN JAG Project


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