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今年2月19日に産声を上げたばかりのユニークな組織がある。コペルニクだ。地球中心説(天動説)に対し、太陽中心説(地動説)を唱えたニコラウス・コペルニクスが由来の社名だそうで、2月19日はコペルニクスの誕生日である。天動説に対して地動説を唱えるようなコペルニクの事業とは。「援助業界に一石を投じたい」と意気込むコペルニク共同創設者の中村さんにお話を伺った。
中村さんは国連やコンサルティングファーム、マッキンゼー出身者。具体的ニーズを知っているし、戦略も立てられる。途上国にテクノロジーを波及させ、貧困削減を目指す。テクノロジーを入れることにより、一段階どころか飛躍的に段階を飛ばし社会や市民生活が前進する可能性がある。コペルニクはそんな橋渡しを地球規模で始めている。
文/関根 健次 取材/2010年9月18日

■プロフィール
国際開発援助で約10年の経験をもつ。 東ティモール、インドネシア、シエラレオネ、ニューヨーク、ジュネーブを拠点とし、主に国連開発計画で働く。主にガバナンス改革、平和構築、自然災害後の復興、国連改革などに従事。インドネシアでは、日本企業のBoPビジネスへの参入を促し支援するプロジェクトを発案し開始した。前職はマッキンゼー東京支社で経営コンサルタント。京都大学法学部卒業。英国ロンドン経済政治学院で政治学修士号取得。
コペルニク;テクノロジーを発展途上国に届けよう from Ewa Wojkowska on Vimeo.
――コペルニクが事業を開始したのはいつからですか。
4年位前から考えていたのですが、今のモデルに行きついたのは去年の半ばぐらいです。そこから途上国向けの技術を開発している企業と話をしたりウェブサイトを立ち上げていきました。正式にローンチしたのは今年2月19日です。2月19日というのがコペルニクスの誕生日なんですよ。その日に因んで立ち上げました。
――どんなメンバーで始めたんですか。
エヴァ(Ewa Wojkowska)と2人で始めました。彼女とは国連で一緒に働いていて、それ以来一緒にいろんな国で開発の仕事をもう10年ぐらいしているんですね。今は私の妻でもありますが。コペルニクを作った理由はお互い、国連が行う支援とは違ったアプローチが出来るんじゃないかという思い強まっていったからです。
――どんなところに葛藤を感じたんですか。
新しいアイデアを導入したり、イノベーションを起こす文化が弱いんですよね。官僚組織なので新しいプロジェクトをやるにしても、これまでのやり方がずっと続いてしまうということが多い。もっといろんなやり方もアイデアも考えればあるのに、それをやらずにちゃちゃっとプロジェクトを作ってしまい、お金を入れるっていう感じで。もったいないんですよ。ここを自分なりに変えたいと思って。
――国連で具体的にはどんな仕事をしていたのですか。
例えば、東チモールが独立する直前まで国連が国を暫定統治することになり、2002年の独立後、ティモールの人々たちで国を運営していくことになったんですが、直ぐには体制が整わない。なので、国連は、省庁や議会、司法制度などを東ティモールの人達で自立的に回していくための能力強化支援をしていました。私はそのプロジェクトを国連開発計画で担当していました。
東ティモールではインドネシア支配に対する対抗運動で、多くの兵士が活動しました。現大統領は、この中でリーダー的な役割を果たしていましたが、独立したことによって多くの兵士達には仕事がなくなってしまった。大統領としては彼らを優遇したいんですが、ジャングルで多くの年月を過ごした彼らは読み書きができないなどのハンデがあるんですね。平和経済には統合されない人たちをどうやって統合していくか。これは経済の問題だけじゃなく、国の安定に関わる政治的な問題でもありました。元兵士が荒れ始めると、国の安定がなくなってしまいますから。そこで小規模インフラを作る仕事を提供したり、彼らのスキルが上がるプログラムも担当していました。
その後、インドネシアに移り津波復興のチームに入り、ガバナンス分野における津波被害の算定の担当リーダーをやって、世界銀行のチームなどと一緒に仕事をしました。その後は、復興プランの青写真作りをしていました。
津波復興計画づくりが一段落したところで、次は部署が変わってUNDPインドネシア事務所全体の計画づくりと評価をする新ユニットを立ち上げて、そこのチーフとして働きました。ここではパフォーマンス管理の仕組みを取り入れたり、ナレッジマネージメントのシステムを入れたりといった仕事をしました。
――なるほど、そいうった仕事をしていた時に葛藤があったのですね。具体的にはどんなことがあったんですか。
その後に、西アフリカのシオラレオネに行ったんですが、ここでは政権交代直前の選挙支援から始めて、2007年の選挙で民主的に政権が変わり、新しい大統領が選ばれました。我々は、国連として、大統領がリーダーシップを持てるように、彼の周りに優秀なアドバイザーを配置したり、新政府とともに、新しい国家戦略づくりのお手伝いをしてたんですね。
当時の仕事はダイナミックで、ある意味では自己満足していたんですが、1年ぐらいたって地方に行った時に、人々の生活が何も変わっていなかったんです。政府の描いた戦略が、絵に書いた餅になっていて、しかも末端にいけばいくほど行政府の能力が低くなるんで、一番必要なところでなかなか仕事が出来ない。政府の能力開発をするって相当長期的な仕事ってことを再確認しましたし、もっと末端の貧困層にダイレクトに貧困削減のための何か出来ないのだろうかと思いました。
あと、最初に話しましたが、開発援助の産業では、より効果的なソリューションを考えようという文化が弱いと思います。
――コペルニクは雇用創出まで視野に入れて展開するってことですかね。
まず、コペルニクでは開発に入っていなかったアクターをどんどんいれているんですよ。それは適正技術を作っている企業であり、それらを開発している大学なんですが、そんなプレーヤーがどんどん増えています。彼らを全面に出すことによって、アイデアも増えるし、コンペティションが生まれる土壌が生まれつつあるんですよ。
もう一つは、我々がテクノロジーを普及させる時に、ローカルパートナーにはタダでは配るなって言っているんですよ。例えばソーラーランタンを配るときはヤクルトレディーのように、1個売ったら1ドルというように配る女性たちにお金が回る仕組みを作ってます。彼女たちが売ることで、ローカルパートナーに利益が戻り、そしてそのお金でまた別な村にソーラーランタンを配る。そんな仕組みが実は自発的に出てきてます。
――そういうローカルパートナーってどれぐらい数がいるんですか。
最初は知り合いベースで始めたんです。私達が働いたことのある、インドネシア、東チモール、シオラレオネで、個人的によく知っているNGOから始めたところ、口コミ的に段々と広がり、500ぐらいの団体からパートナーになりたいと問い合わせが来ました。そんな中から年次・会計報告がちゃんとしていないとか、以前のドナーからの評価が悪いとか、こちらからの質問に対して反応が遅いとかの団体はカットして選抜し、現在40以上の団体がローカルパートナーとなっています。今後もっと増えて行きます。
――日本のNGOも入っているんですか。
基本的には途上国のNGOが中心です。国際NGOって下請けに流すところが多いので、直でローカルNGOをパートナーにしているんです。でも、日本の団体でも自分たちが途上国で直接コミュニティーと活動している団体は一緒に働いています。例えば内モンゴルでのプロジェクトは、現地で長年活動している元JICAの人が立ち上げた団体と一緒にやりました。
――今扱っている製品の数は。
20ぐらいです。これから200ぐらいに増やそうと思っています。
――あまり日本の製品で途上国向けのものがないと聞きましたが。
ほとんどないですね。いくつかの会社と話を進めていますが、まだ例外ですよね。
そこで仲間と一緒にSee-D Contestというデザインコンペをはじめたんですね。フィールド調査に行かなければいけなかったり、ワークショップに4回参加しなければいけないとか結構大変なプロセスだったんですが、30人の枠に多数の応募が集まった。蓋を開けたら日本を代表する企業のエンジニアだらけだったんですね。
――それではこれから日本からも製品が出てくることが期待できますね。
そう簡単なことではないことは分かっていますが、世界的に活躍する日本のグローバル企業のエンジニアが本気で頑張っているということに期待をしてます。
――コペルニクの仕組みについて聞きたいと思いますが、農村にソーラーランタンを配りたいといったローカルパートナーNGOのプロジェクトを実現させるために寄付できるって斬新ですね。
KivaとかGlobalGivingなどのP2Pの仕組みは前々から注目していました。やはり個人対個人の仕組みって、将来的な方向性だと思っていましたね。
――寄付する人たちは日本とそれ以外の国でどんな割合でしょうか。
アメリカ発が多くて7割くらい。日本は2割くらいかな。それ以外はオーストラリアやヨーロッパです。日本のサイトがまだまだこれからというのもありますけど、アメリカは寄付の文化も根付いており、Kivaなどでこういった仕組みに慣れているっていうのはあるかも知れませんね。
――コペルニクが「革新的な技術・製品を、発展途上国に波及させ」実現したい社会とは。
最終的には貧困の削減のプロセスを加速させたい。現状のODAの仕組みを越えて、企業や大学といった、今まで援助に受動的にしか関わってこなかったようなアクターを全面的入れることによってイノベーションを起こしていく。そしてソリューションの種類・幅を増やし、常によりよいものが生まれていくエコ・システムをつくっていく。
――ゴールとして掲げている数字はありますか。どれぐらいの貧困層にリーチしたいとか。
実際にどれぐらいの人たちの生活改善が出来るかといった人数で考えると、1億人ぐらいはいかないといけないなと思っています。
――なるほど。ちょっと脱線しますが、これまで世界を舞台に活躍していて、今もインドネシアに居住されているとのことですが、中村さんから今の日本社会を見てどう思いますか。全体的には閉塞感があるとい内側からは感じるのですが。
あんまりいないから、分からない(笑)。でもSee-D Contestに参加する人と話すと楽しそうですよ!だから日本には可能性を感じていていますね。参加者のエネルギーがすごいです。
――20年後にどんな世界を見たいですか、つくりたいですか。
貧困層の人が、負のサイクルから抜けだして、彼らが一人ひとり生きていく課程で、選択肢をチョイスできるような世界を見たいですね。このプロセスをちゃんと効果的にやりたいということが、根本的な考えです。
あとは、途上国同士のイノベーションがあったらいいと思います。今はどうしても先進国から途上国にとなっているが、ケニアのイノベーターが、インドネシアのイノベーターと話して、それがベトナムやペルーのイノベーターに伝わるような、途上国同士のネットワークが出来ていくと、もっと面白い社会が来るんじゃないかと思います。
――ありがとうございました。
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