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占領と貧困のなかで、子どもが6歳から働く。
そんな子どもたちの将来の可能性を広げるための教育プロジェクト。

活動団体

パレスチナ子どものキャンペーン

取材日

2006年11月28日

取材目的

パレスチナ子どものキャンペーンでは1986年よりパレスチナの子どもの教育、保健、人権のための支援活動を続けています。パレスチナ西岸地区のジェニンでは、イスラエル侵攻により心に傷がある子どもたちのための心のケアプロジェクトを行っています。ガザ地区では、障害を持つ子どもたちが通える初めての学校「アトファルナろう学校」を1992年に立ち上げました。レバノンのパレスチナ人が暮す難民キャンプでは、幼稚園の運営支援をしています。この他にも様々なプロジェクトがありますが、今回は2006年6月にガザ地区で活動する現地のパートナー団体、CFTA(Culture and Free Thought Association、文化と自由な発想をめざす協会)が立ち上げ、パレスチナ子どものキャンペーンが運営を支援する子どものためのセンター「ナワール・センター」を訪問しました。(取材:関根 健次)

ガザ地区への道のり

ガザ地区への訪問は簡単ではありませんでした。ガザ地区は封鎖状態で、ガザの出入り口となっている2つの検問所は開かずの扉となっていました。パレスチナ人が国外に出る時に使うエジプトと接するラファ検問所は閉じたままでしたし、イスラエルと接する北のエレツ検問所については、イスラエル政府から特別な許可が下りたNGO関係者や、政府職員、医者、プレスカードを所持するジャーナリストなどのみが通過出来る状態でした。パレスチナ人であろうが、イスラエル人であろうが自由に通行することは出来ないのです。

ガザ地区へはパレスチナ子どものキャンペーンの現地スタッフ、石原さとみさんと一緒にエルサレムから向かいました。ガザ地区の入り口であるエレツ検問所までは距離にして約1時間です。エルサレムからガザ地区に向かうには、公共の交通機関がないため、タクシーに乗って行くしか方法がありませんでした。タクシー代は片道約1万円もしました。往復2万円は、結構な出費です。

パレスチナ子どものキャンペーンの事務所はエルサレムにありますが、こんなに交通費にお金がかかるなら、ガザ地区に事務所を移す気はないのかと聞くと、イスラエル政府にNGO登録して、ビザの発給を受けるにはエルサレムで週2日以上は働かないといけないというルールがあるため、他の場所には事務所が持てないとのことでした。それでも、2005年にはガザにも駐在員がいたそうですが、2006年に入って外国人の誘拐事件なども頻繁に起こるようになり、現在は安全面からも引き上げているとのことです。さらに、パレスチナ子どものキャンペーンはパレスチナ西岸地区の北部、ジェニンという場所にも支援先があるので、ガザ地区に事務所を移転することは現実的に出来ないとのことでした。

パレスチナ子どものキャンペーンスタッフの仕事内容

ガザ地区へ到着するまでにかなり時間がありましたので、パレスチナ子どものキャンペーンのスタッフとして、毎日どのような仕事を行っているのか石原さんに聞いてみました。主な仕事としては、支援プロジェクトを管理し、日本の支援者に活動を伝えるためのビデオや写真を撮り、報告書をまとめる、会計を管理する、ヨルダン川西岸やガザで活動するためにイスラエル当局から許可を得るための手続きなどとのことでした。その他、さまざまな事務手続きを日々行っているとのことです。例えば現在は、日本からボランティアが来る際のコーディネイト、パレスチナ人スタッフが来日するための煩雑な手続き、冬場に配布するジャンバーの手配などなど。そして、何よりもパレスチナは紛争地帯で急激に情勢が変化するので、現地で何が求められているかを常に把握しておくことも重要な仕事と説明を受けました。

現在、ガザ地区では現地のNGO、CFTAと一緒に「ナワール・センター」の運営支援を行っているが初年度は資金提供が中心とのことでした。運営へのアドバイスや、プログラムの立ち上げをやっていないのは、基本的に地元のNGO/NPOのイニシアティブを尊重しているからです。特にCFTAの場合は専門性が高く、経験もあり、有能なスタッフもいるので、十分に自立した活動が可能だからと説明を受けました。なお、「ナワール・センター」への支援は、2006年度は約200万円とのことでした。

紛争地で仕事すること

こんな紛争地で働いて怖いと思ったことはないのかと聞くと、思ったことがないということでした。「怖いと思ったら、こんなところでやっていけないから自然とそうなるのかもしれません」と淡々と語る石原さんをとても頼もしく思いました。 ガザ地区がどんな状況だったかというと、2006年に入り「急進派」であるハマスが選挙の結果政権を握って以来、イスラエルによる封鎖が強化され、6月には大規模な侵攻で発電所も空爆されるなど軍事的な圧迫もエスカレート。しかも欧米からの援助金がストップし、パレスチナ社会内部の抗争も広がるなど混乱が続いており、最近では11月上旬にイスラエルによる北部ガザ地区への空爆がありました。そんな状況だったためそもそも入れるかどうか直前まで心配でしたが、幸いにもガザ入りの数日前にイスラエルとパレスチナの間で停戦合意があり、無事入ることが出来ました。 とはいえ、イスラエルの空爆は不安ですし、パレスチナ人による外国人の誘拐が何度か起きているため、こちらについても多少心配でした。一方石原さんは、パレスチナ人同士(ハマスとファタハ)の銃撃戦に巻き込まれる可能性があることを心配していました。そのため、ガザ地区では常にタクシーで移動し、目立たないよう後部座席に座ることになりました。

厳しい検査が待っていたガザ地区の入り口、エレツ検問所

予定通り1時間ほどでエレツ検問所に到着しましたが、エレツ検問所でそれは厳しいチェックを受けました。敷地に入る最初のチェックポイントでは、「あなたは武器を持っていますか?」という質問を受けました。相当な警戒態勢であることが分かりました。最初のチェックポイントを通過して、敷地内に入っていくと、目に入るだけで6人ぐらいはライフル銃をぶら下げた兵士が警備していました。

それから、なぜガザに入るのかなどの尋問の後、手荷物検査や詳しくは不明ですがレントゲンらしき機械に入れられるなど、厳しい検査を受け、ようやく通過することが出来ました。約1時間かかりましたが、ここをやり過ごすだけで大変なストレスでした。

イスラエル側の検問が終わり、長い通路を歩いていくと、やっとパレスチナ側に出ることが出来ました。ここを通過している間に、誰一人として他の通行人を見かけませんでした。つまり、ガザ地区は物理的に世界から隔離されてしまっているのです。


(映像説明)エレツ検問所入り口付近。

荒廃したガザ地区の様子

長い通路を歩き終えると、パレスチナ自治政府側でもパスポート確認、登録があります。これさえ終われば、いよいよガザ地区入りです。出たところは大きな広場になっており、タクシーなどが停車しています。ここに立っただけでも、ガザの状況が多少は想像出来ました。補修されないままになっている道路。もはや座ることの出来ない状態の錆付いたベンチ。そして、空爆を受けたのか、ぼろぼろに崩れた建物が遠くに見えました。

ここからはまたタクシーに乗り込み、パレスチナ子どものキャンペーンが支援する、現地のパートナー団体、CFTA(Culture and Free Thought Association、文化と自由な発想をめざす協会)の施設を目指しました。CFTAは、1991年にガザの南部ハンユニスで地元の女性によって作られたパレスチナのNGOで、同年「子どもセンター」を設立し、子どもたちが遊んだり、勉強したり、アートや演劇活動に参加する機会を提供しています。この他、現在では思春期の青年たちを対象とした活動や、女性を対象とした保健や小口融資など様々な活動を展開しているとのことです。

パレスチナ子どものキャンペーンは、CFTAと2004年のセーター配布以来、協力関係にあり、2006年6月からは、ハンユニスのはずれに新しく開設された子どものためのセンター、「ナワール・センター」の運営に協力を行っているとのことでした。

今回の訪問では、「ナワール・センター」だけを訪問する予定でしたが、たまたまこの日、ハンユニスにあるCFTAの「子どものセンター」で、物産展を行うというのでまずはこちらを訪問することになりました。物産展では、CFTAが技術指導、融資などを行った女性たちが作った商品を販売しているとのことでした。


(映像説明)ガザ北部の様子。

ハンユニスのCFTA「子どものセンター」へ

40分ほどだったでしょうか。ハンユニスの難民キャンプにあるCFTAの「子どものセンター」に到着しました。センターの敷地内に女性たちが15店ほど出店し、主にパレスチナの伝統的なデザインをあしらったクッションカバーや服などを販売しておりました。敷地の中央では、男性たちが来場者にコーヒーを無料で配っておりました。彼らは歌ったり、踊ったりと大変愉快でした。大変な状況にもかかわらず、こういった明るい人々がいることを知り、内心ほっとしました。

子どもが生き生きと学び、遊ぶ「ナワール・センター」へ

次に、ハンユニスの南部にあるCFTAの新しい子どものためのセンター、「ナワール・センター」へと向かいました。センターでは、所長のアマルさんが出迎えてくれ、詳しくこのセンターについて説明して頂けました。

「このセンターは、6歳〜12歳の子どもたちのために様々な授業を行っています。午前と午後の2回、子どもたちを受け入れています。パレスチナの学校は、1日2部制になっており、子どもたちは午前か午後どちらかだけ学校に通っています。そのため、午前中学校に行った生徒は午後、午後学校に行った生徒は午前このセンターにやって来ます。

参加費用は1人月10シェケル(1シェケルは約30円程度)ですが、経済状況が悪いため、この金額を払えない家庭もあります。そういった家庭の子どもの一部は、無償で受け入れています。

センターには毎日200人の子どもが来ており、2006年6月に、345人の子どもがこのセンターに登録しました。最初は120人までの予定でしたが、この地域は貧しく、公園など、子どもたちのための施設がないため、来たいという子どもが後を絶たちません。そのため予定よりも多くの子どもを受け入れています。

センターでは子どものための授業以外にも、母親のための様々なワークショップを行っています。現在では19人の母親が参加し、電気製品やトイレなどの修理から専門家を招いての家庭やコミュニティーでの問題についてまで毎週実施しています。

なぜこのようなセンターこの場所に作ったかというと、ここバトン・サミーン地区がハンユニスでも最も貧しい地域だからです。この地域には、0〜15歳の子どもが9,000〜10,000人いますが、子どものための施設も遊び場もありませんでした。この地区では、子どもが6歳にもなると家族のために働くのが当たり前で、子どもが子どもらしく生きることが出来ません。6歳で可能性が狭められてしまっているのです。また子どもたちが自分の意見を持ったり発言することも許されないような環境にあります。そこで、CFTAとして、ここに子どものためのセンターを造り、子どもの可能性を広げたいと考えたのです。子どもが自分自身を知り、自由に考え、自分で将来を決められるようになるようになることは、とても大切なことです。

パレスチナの学校教育は人間形成の上で決して十分であるとは言えません。算数や国語など、実用的なことは教えても、体育や美術など、総合学習の授業がないのです。

私たちはこういった授業が子どもたちの成長には欠かせないものと考えています。ですから、当センターでは、音楽、美術、工作、体育、英語、そして演劇を使ったセラピーなどのプログラムを行っています。こうしたプログラムは、子どもたちのストレスを吐き出させるためにあります。ガザ地区には度々イスラエルの侵攻や空爆があるのですが、攻撃がある度に、子どもたちが肉体的にも精神的にも傷つくからです。

このセンターのプログラムを成功させるために、この地区の住民とは何度も何度も話し合いを行い、一緒にプログラムを作るよう心がけてきました。この地区が抱えている問題やニーズを知り、住民を巻き込みながらプログラムを作ることは、センターのことを理解してもらい、最終的に子どもの支援を行う上でとても大切なことだったからです」。


(映像説明)英語のクラス。


(映像説明)美術のクラス。


(映像説明)演劇のクラス。

センターに来ている母親たちへのインタビュー

ナワール・センターに来ていた母親たちにセンターについてどう思うか質問すると、子どもたちがとてもこのセンターを気に入っており、毎日のように来ているとのことでした。母親たち自身が悩みを相談したり、交流を深める場所にもなっており、このセンターが出来てとても嬉しいとのことでした。

将来、子どもたちにどんな職業に就いて欲しいか聞くと、医者という答えが最も多く、その次に多かったのが先生です。その他、パイロットとジャーナリストという答えがありました。

アマルさんによると、やはり医者や先生になって欲しいという親が多いそうです。というのも、度々イスラエルの攻撃を受けているので、特に医者は必要とされていますし、人の力になりたいという子どもも多いとのことでした。

視察を終えて

CFTAのナワール・センターは、地域の住民との協力関係を築きながら、子どもの成長のために欠かせないプログラムを行っていると実感しました。CFTAのプログラム内容は、多くが特別な内容ではなく、セラピー以外は、どれも日本の小学校なら普通に存在するものばかりでした。ただし日本の学校と違って、子どもたちが自分たちでセンターのルールを決め、プログラムの内容も子どもたちが考えて作る、問題が起きたときも自分たちで解決方法を探すなど「子ども参加」の原則が非常にはっきりしています。大人は場を提供し、子どもたちが自分の考えをまとめる手伝いをし、必要なアドバイスをするという立場に徹底し、パレスチナ社会の将来を見据えた方向性を一貫してとっているそうです。

6歳から子どもが働くことが当たり前の地区に、このセンターを立ち上げたのは意義深いと同時に、地区の住民の理解を得ることは、大変な作業だったのではないかと容易に想像出来ます。なぜなら、子どもを学校やセンターに通わせることは、働き手を減らし、収入が減ることになるからです。CFTAのプログラムが、現在、現地の小学校で行われていないことは残念です。




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